部活にやらされ感のある高校生にみる「楽しい」ということの怖さについて

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 先日、電車の中で面白い会話を聞いた。野球かサッカーをしている高校生だろうか。

A「明日からオフか−。超久しぶりだから、思いっきり遊びたいわ。全然遊べてなかったからな」
B「だな」

その後、Aが電車を降りた後に、BがCに向かって

B「部活なんて遊びじゃんな。やってて楽しいからやるんじゃないの? 部活でストレス溜まるって何?」
C「だから、あいつあの程度なんだよ。やらされ感半端ないもん。仕方無くね」

とまあ、うろ覚えですがこんな会話であった。

 この高校生がどの程度のレベルの部活なのかは分からない。今ちょうどやっている甲子園に行くか行かないかとかのレベルと毎年1回戦敗退レベルとでは違うとは思う。
 でも、Aくんは、この後色々な事を経験するとは思うが、「仕事が楽しい」とか「遊ぶように仕事している」という状況にはならないだろうな、と思った。

 以前、中原先生のブログでこんな事が紹介されていた。

 「楽しい仕事があるのではなく、楽しもうとする人がいるだけである」 

 きっと、Bくんは、この人のような考え方なのだろう。

 自分がおっさんになるにしたがって、「何とかの遠吠え」として「おいおい、社会はそんなに甘くないぞ。楽しくない事はたくさんあるぞ」とか思ったりするのだが、それでも確かに「仕事を楽しめる人」はいて、そしてその人の仕事は「楽しそう」ではない。というよりも決して「楽」な仕事をしている訳ではない。

 むしろ、傍から見るとすごくキツい事をしている。それでも、本人は「楽しい」と言うのだ。きっと、それは「楽しもう」とした結果、色々な事が好転していき「楽しい」に辿り着いている気がする。

 人が何に「楽しい」と思うかというのは、長い目で見るとあり得ない差を生んでしまうのかも知れない。AくんのそばにはAくんのような人が集まり、BくんのそばにはBくんのような人が集まってきたりする。そして、結果的にBくんの方が質も量も高まってくるから、熟達していくと言うこともあるのだろう。

 自分も過去に「楽しめていなかった」ことがあるので大いに反省している。もっと、仕事楽しんでいれば、得られるものは大きかったのだと思う。

 その一方で、これ実は個人の資質もあるかと思うが、もう少し経営学的に考えると環境による影響も大きいなと思う。楽しめるような雰囲気をいかに作るのか、これの方が今とすればもっと大きな課題である。

 「楽しい」って事についてはvol.485:アラサー教員奮戦記 第21回「「面白い」の持つ魔力と怖さについて」 – eラーニングかもしれないBlogにて、ちょっと書いた。ここで書いた話と、今日の話は少し違うのだが、それでもやはり、「楽しい」というのは恐ろしい。

 まだまだ夏は終わらない。夏を多いに「楽しもう」。

 今日の話のもう一つのオチは、Bくんが「だな」と受けた事とCくんの冷静さ。特にCくん。身なりもきちんとした高校生であった。

 PS:もちろんさ、休むってのは大切な事。仕事を楽しんでいる人は、仕事がつまらなくならないようにきっちり休みは確保している人が多い。自分はこちらが大いなる課題。

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この記事を書いた人

産業能率大学情報マネジメント学部 准教授 橋本諭(はしもと さとし)。
研究テーマは、ソーシャルビジネス、人材育成を扱っています。

橋本 諭

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