2025年11月8日、9日と学祭「瑞木祭」が行われます。橋本ゼミでは研究発表展示を行います。ぜひ皆様お越しいただければ幸いです。302教室に是非お越しください。
どんなコンテンツがあるのかを簡潔に紹介します。
目次
サードプレイス
ゼミとしてのテーマはサードプレイスです。
オルデンバーグが「The Great Good Place:とびきり心地よい場所」として、自宅でも職場でも無い場所としてのサードプレイスを述べたのは1980年代のアメリカです。では、2025年の日本ではどんな変化があるのかを考えていきます。
結論を先に述べれば、現代の日本ではオルデンバーグが問題として捉えた内容は、より深刻さを増しているように思います。今まで以上にサードプレイスは無くなっており、そして人々は自宅と職場の往来のみになっています。そして、そのことへの問題意識も乏しいように思えるのです。
ファーストプレイスである自宅の変化
1990年代から大きく変化を遂げているのは、自宅(家庭)が挙げられるでしょう。
例えば、携帯電話の普及から始まりスマートフォンの実質的な個人所有は家庭での過ごし方を大きく変えたと思います。
また、さまざまな統計数値は自宅(家庭)が大きく変化していることを示しています。
他方、自分以外の家庭のことを知る機会は多くありません。自分にとっての当たり前が、実は当たり前ではないということも、意識しないと気づけないものです。
セカンドプレイスである職場の変化
職場も大きく変化しました。1990年代からの30年は、まさに失われた30年と呼ばれる時代です。故に、「失われた」ものが何かを捉えることでもあります。
大学生(18歳から22歳)からすれば、この時代こそが生きてきた時代であることから、「当たり前を問い直す」作業に他なりません。
なぜ、これほどまでに「就活」が大学生を規定しているのか?
は、問い直しを行わない限り見えてきません。あまりにも当たり前のものになってしまっているからです。
セカンドプレイスである職場の変化をみることは、就活を問い直すことにもつながっていました。
認識装置としてのサードプレイス
サードプレイスと標榜しながら、誰もその場所を心地よいと思っていない
と言うのは成立するでしょうか? 少なくともその場所をサードプレイスとは呼びません。
他方、オルデンバーグがサードプレイスの例として挙げている場所は、サードプレイスを目指したものなのでしょうか? これもNOです。
あくまで「サードプレイス」とは、自宅でも職場でもない、とびきり心地よい場所についての認識装置なのです。つまり、その場所をサードプレイスと捉える人がいるかどうかが大事だと言うことです。
そこで、大学生がサードプレイスとして捉える場所を紹介します。大学生との議論を通じて、2025年のサードプレイスを一緒に考えてください。
AIによるコミュニケーションの活性化
サードプレイスにはテクノロジーも媒介できるのではないかと考えます。
橋本ゼミでは、AIを用いたWebアプリを開発しました。このアプリは、初対面の人同士のコミュニケーションを活性化させることを目指しています。
まだ、ベータ版のため、会場にて参加者の方々からのフィードバックをもらいながら開発を進めていきたいと思います。
心地よい研究発表の場づくり
研究発表の場づくりについても考えています。
この場自体を心地よい場所にすべく、心地よい飲食店をモチーフに準備を進めています。
街づくり、企業のあり方に影響があります
現在、サードプレイスについて考える意義は、街づくりや企業のあり方に影響を与えると思います。
例えば、どんな街を作るべきか? を考える時、それは「The Great Good Place」があることが不可欠でしょう。しかし、具体的にどんな場所なのか?については必ずしも誰しも一致する訳ではありません。
大学生がどんな意見を持っているのか? については街としても企業としても、耳を傾ける意味があるのではないかと思います。
卒論
もう一つのメインコンテンツが卒業論文の中間発表です。
4年生が自身の研究テーマに沿った内容をポスター形式で発表します。今まさに最終調整中ですが、以下のような内容があります
- 獣害被害の実態をトレイルカメラで検証
- 小田急線沿線の変化について全ての駅をフィールドワーク
- 大山に来るインバウンド客がどういったメディアを用いているかのフィールドワーク
- 男性が年下というカップルに関する「常識」に関する研究
- 客観的には「心地よい場所」ではなさそうな場所に関するサードプレイスのフィールドワーク
- 社労士法の改正に伴う「労働監査」に関する位置付けの研究
- 等々
毎年、卒論にはその人の個性が反映されるなと思っています。是非、色々とご意見をいただけたら幸いです。



