自明なことを探求してしまう怖さ

 世の中には、本当にたくさんの研究者がいます。恥ずかしながら、大学教員ということはその端くれですので、研究者にならなければと思っています(今はおこがましくて…とてもいえません)。

 研究をすると言うことは、今までわからなかったことをわかるようにしていくことだといえます。そこには、全くもってわからないものを追求するということと、結果は分かりきっていることでも、どういう仕組みになっているかを追求することなどがあるでしょう(ひどく、ざっくりとした括りで、さらに、仮説を立てていることを無視しています)。人の学びの探求はほとんどの場合後者です。

 そうした際に怖いことは、自分にとってわからないことでも、他人からすれば至極当たり前のことがあるということです。具体的な例でいえば、ある分野ではわからないことであっても、他の分野から見ると自明なことがあるということです。

 もちろん、前述したように、結果は分かりきったことでも、プロセスを追求する意味はありますから、自明なことと切って捨てる訳にはいきません。当たり前過ぎて見えていない世界もたくさんあるものです。(コンサルの現場では、「顧客が当たり前というものを信じてはいけない」と教わりました。)

 しかしながら、ある分野にどっぷり浸かってしまうと、そういったことが見えなくなってしまうものです。それがとても怖いのです。

 たとえば、ある人がプロジェクトを進めるコツを探っていたとします。その人はある結論にたどり着きました。それは、以下のようなものでした。

 

  1. メンバー、特に意思決定をする人は意思決定をするための情報が必要であり、その情報をできる限りリアルタイムに得られた方が良い
  2. そのため、各メンバーは仕事の進捗状況についてのナレッジを共有するためのアクションをとるべきである

 で、結局の所は、「ホウレンソウ」をしましょう、という話であった、というようなものです。

 そんな当たり前のことはないだろう。そんなことは、どんなにいかがわしい会社であっても新入社員研修でやっていることであって、それを研究しましたなんて人はいないし、意味がないだろう。

 と、思われる方も多いかと思いますが、案外こういう研究というのは多いような気もするのです(さすがに上記の例はやり過ぎですが)。それはある分野にどっぷりと浸かれば浸かるほど陥りやすい罠なのではないかなと思います。

 他人に対してどうこういえる立場ではありませんので、自分が周りから見られてそんなことをしてしまうことに怖さを覚えます。

それと同時に、自明なことの向こう側に何かしらの真理があると感じたときに、周りの「自明なことを追いかけている物好きと蔑まれる目線」を無視できるだけの強さがほしいなと思います。きっと、本当に大切なことはその辺りにありそうだからです。

 研究者になるというのは、大変なことです。
 まだ、始まったばかりです。 

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この記事を書いた人
橋本 諭

産業能率大学情報マネジメント学部 准教授 橋本諭(はしもと さとし)。
研究テーマは、ソーシャルビジネス、人材育成を扱っています。

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