何故ワークショップを学ぶのか?

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 橋本ゼミでは、今年の春合宿にて、「100均ワークショップ」という企画を行います。
詳細は、こちらで書いていますが、意図としてはワークショップの企画や運営について学ぶ事です。橋本ゼミ春合宿企画「100均ワークショップ」について | 橋本研究室

 今日は、なぜワークショップを学ぶのか?について書いてみたいと思います。

 私自身がワークショップと出会ったのは、大学時代でしょうか。当時は、eラーニングの研究を行っていましたので、その流れから様々な教育手法の一環としてのワークショップに出会いました。

 詳細を書くと長くなってしまいますので、簡潔に収めますが、eラーニングというのがどちらかというと個人の、決められたテーマを学習するというのが主流であった中、ワークショップの同時性やリフレクションを重視した方法というのは、刺激的でした。※1

コミュニティデザインの時代

 ワークショップ自体は、様々な場所で使われています。※2
 代表的な例として、コミュニティデザイナーの山崎亮さんは、「コミュニティデザインの時代」の中で、コミュニティを作り上げる、再構築する手法としてワークショップを挙げています。彼は、デザイナーながら「つくらないデザイナー」を標榜し、まちづくりや商店街の活性化、離島の魅力向上等の活動をされています。※3

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 人口減少や限界集落等の日本においていずれ来る、いや既に来ている解決しがたい問題にワークショップの力を使いながら取り組まれています。

 これらの問題は、望むと望まざるとに関わらず、これから日本で生きる世代は解決していかなければならないのだと思います。

手段としてのワークショップ

 まちづくりや商店街の活性化のような対象だけではなく、ワークショップ自体は企業内においても有効な手法ではないかと思います。ワークショップや創造性について研究している東京大学の安斎さんは、「既存の認識に揺さぶりを与え、新たな認識をつくりだすための創造的な学習活動」と定義されています。たとえば、「大企業病」と呼ばれる組織の停滞は、まさに既存の認識を打破しなければならない対象と言えるかと思います。

 橋本研究室では、「「学び」の力で問題解決 ~地域、企業の人材育成への貢献~」という事をテーマとして掲げています。現在では、直接取り組みを進められてはいませんが、いずれかの時には地域や企業の直接の課題に貢献できるようになりたいと考えています。その際、武器のひとつになるのがワークショップだと考えています。

手法としての表と裏

 では、ワークショップは万能なのか? というとそうではありません。2点ほど危惧する点があります。一つ目には手法としての限界です。

 ワークショップが機能するのは、問題としてある一定のラインを超えていない所にあるものではないかと考えています。たとえば、企業が数ヶ月後には倒産するかも知れないという時には、ワークショップでは解決できないのではないでしょうか。

 恥ずかしながら、経営コンサルタントの端くれとして見てきた実感として、ある所までいってしまうとリストラや不採算事業の売却などと言った手法以外に手はなくなってしまいます ※4。その意味で、手法として限界というよりかは、適した場所というのは当然あろうかと思います。また、同様の課題としては、本当に来て欲しい人、参加してもらいたい人が参加してくれないというような、参加者に関わる限界もあります。

 もう一つは、実施側としてのある種の「達成感」や「高揚感」のために、手段が目的化する事です。換言すれば、自己満足のための「ワークショップ」になる可能性があることです。

 ワークショップ自体は、その運営上、主催者も参加者もある程度のテンションを求めます。ハレとケでいうならば、「ハレ」である訳です。たいていのワークショップのはじめに「アイスブレイク」があるというのは、アイスのように固まったままでは「できない」ということでもあります。当然のことながら、主催者側もテンションを高くして臨む必要がある訳です。このことは、高揚感を生みますし、実際にワークショップは楽しいのです。

 楽しい事は悪い事ではありません。むしろ、良いことです。しかし、楽しければ良いかと言えばそうではないのです。少なくとも、主催者にとって楽しいことより、参加者が楽しい事や、意味がある事を優先すべきだと考えています。

 場合によっては、単発のワークショップは「盛り上がらず」、「失敗だった」と捉えられる時もあるかも知れません。しかし、少し長い目で見たときには、その「停滞状況」が次のステップになることは往々にしてあるものです。その時に、ムリに盛り上げて、ゲラゲラ笑って終わることは、必要なステップを飛ばすというような事からも必ずしも良いことではないのです。

 特に、○○の問題を解決しようとか、みんなに元気を!とか、意気込んでいる時は要注意です。よかれと思っている時が、一番かみ合わず、空回りすることがあるからです。個人的に思い返したくないイタい経験をしたことがたくさんあります。成人を迎えた位からは、無邪気さというのは罪な事でもあることは知っておく必要はあるでしょう。

 一番は、やっている側だけが盛り上がったり、良いことしているでしょ感を振りまいたりするも、本当の意味での当事者は全く参加してもいないし、参加していても「演じている」という状況は厳しいものがあるなあと思います。

だれもほめてくれないかも知れないけれど、やる。

 かなりネガティブな事を書いてきたのですが、それでも、いやそれだからこそワークショップを勉強していきたいと思っています。それは、やはりワークショップ自体には可能性があると感じているからです。ワークショップの特性を理解し、適材適所で使っていくことが何らかの武器になると信じています。そのためには、様々な場面で使えるように「準備」や「研究」を行っていく必要があるという訳です。

 「勝負をする」ことは重要です。しかし、勝負するためには「稽古だったり練習」が不可欠です。より良い勝負をするために入念な準備をする。目立つことではありませんので、誰もほめてくれないかと思います。それでも、やるのです。また、きちんと形にするの事が必要だと思います。この努力をどれだけしてきているのかが、最終的に自己満足になるかならないかを決めてくれるのだと思います。また、こうした裏付けがあって初めて、信用を得られる一歩になるのだと思います。

 「100均ワークショップ」は、100円均一ショップで売っているものを使うという条件のみ決めています。どんな場面を、対象者を想定するか。この辺りが楽しみであります。

※1 eラーニングの中にも、CSCLなどもあるにはあるのですが普及しているという訳ではないと思います。
※2 中野 民夫 ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)などを参照ください。
※3 参考:説明しづらい ぼくらの仕事 – ほぼ日刊イトイ新聞
※4 もちろん、倒産しないための方法であり、良い会社になる方法とは限りません。

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この記事を書いた人

産業能率大学情報マネジメント学部 准教授 橋本諭(はしもと さとし)。
研究テーマは、ソーシャルビジネス、人材育成を扱っています。

橋本 諭

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